33歳からの人生やり直し

月収80万→5万の音楽クリエイターから33歳でIT業界へ転生したとある男の回想録。

ゲーム運営会社に紹介予定派遣で就労、無事正社員へ。

ゲーム運営会社に就業する前に、3泊4日で、宮古島に家族で旅行に行った。

当時は念願のソーシャルゲームの現場での紹介予定派遣が決まったとあり、一安心だった。

とても良いタイミングで、旅行のチャンスがきたのだ。

僕は、この宮古島での四日間は、何という安らぎの時間だろうと思ったものだ。

心も体もリフレッシュして、いざ、現場へ。

大企業である前の現場から一転、ドがつくほどのベンチャーだ。

メンバーのレベルが高く、使われている技術、作っているもののレベルも高い。

目の前の仕事を必死でこなす毎日。

この現場で初めてアサインされたRuby on Railsブラウザゲームのプロジェクトは、旬な技術の塊だった。

私が関わっていたフロントエンドは、htmlがHamlcssがSass、JavaScriptは、CoffeeScript + backbone.jsである。

また、実はそれまで、git によるバージョン管理というものを経験してこなかった。

なので、最初に苦労したのは、実はgitだった。

また、仕事でMacを使ったのは実は初めてで、慣れないOSにもやはり、手こずった。

それでもまずはHaml+Sassのマークアップから業務を開始。

技術的に新鮮だったのはRubyの繰り返しや条件分岐を使ってマークアップスタイルシートの記述を効率化できることで、これは快感だった。

勉強会や読書会も、ちんぷんかんぷんながらも、出来る限り参加した。

勉強会はライトニングトーク、テーマを決めて発表など。

読書会は、ノンデザイナーズ・デザインブック、JavaScript:the Good Parts、リーダブルコードなどなど。割と有名な書籍が多かったと思う。

すごくギークな世界で、自分とは別世界の住人だなと思いつつも、この変化を受け入れる事は自分にとって大変刺激的だったし、この時期に学んだ事の大きさは計り知れない。

現場で働いて半年後、念願の正社員としての登用が決まる。

年収面で若干揉めたが、私の方が折れる形で、事態は収束。

想定年収から50万円もダウンなのだから痛かったけど、スキルが足りていなかったということなんだろうなと、今となっては思う。

その後も、Railsゲームの保守運用に携わったが、サービスインから一年くらいで、サービス終了という事になった。

ローンチ前は、ゴールデンウィーク返上で頑張っていた事を考えると、残念な気持ちでいっぱいだった。

確かサービスインの一ヶ月後くらいから、課金が始まって、あの頃は毎日売り上げを見るのが楽しかったのだが。

その次に開発に携わったのが、Unityのアクションゲーム。マップなどのウェブビューのUI部分をJavaScriptを使って実装したり、サーバーサイドの方もいじる事になった。サーバーサイドはPHPMySQLだった。

ここで初めてPHPオブジェクト指向を学ぶ機会があり、その概念を理解できた。

これは大きな収穫だった。

このように、このプロジェクトでもさまざまな学びの機会があったが、このゲームは陽の目を見る事なく、開発が中止される事になった。

みんなで飲みに行った時の悔しい気持ちは忘れられない。

この後、デザインチームにアサインされる事になる。