33歳からの人生やり直し

月収80万→5万の音楽クリエイターから33歳でIT業界へ転生したとある男の回想録。

ゲーム運営会社への紹介予定派遣、正社員登用後のその後の仕事。

デザインチームでは、デザイナーさんと組んでゴルフゲームの販促用のミニゲームを作った。

使った技術はWordPressベースで、HTML5 canvas,Twitter API,など。

Twitter APIは、ツイッターの自分のフォロワーをボールにしてかっ飛ばす、〇〇メートル飛びました!というメッセージをツイート出来るようにする、というゲームなので、ログイン認証するAPI、フォロワー一覧を取得するAPI,メッセージをツイートするAPIを使った。

HTML5 Canvasは、フォロワーのプロフィール写真をボール型にくり抜くのに使った。

WordPressのテンプレートタグもあまり覚えてないが色々と調べて使った。

自己満足かもしれないが、なかなかの仕上がりのものが出来たと思う。

その仕事が認められ、次はリリース済みのUnityゲームの保守プロジェクトにアサインされた。

デザイナーさんも、Unityゲームのプロジェクトで、デザインやテクニカルアーティストのポジションに移っていったようだ。

私はnGUIでのUI制作を覚え、主にUI周りの実装を手伝った。

また、テクスチャ、シェーダー、マテリアル、コライダー、リジッドボディ、といった、3Dゲーム開発の基礎知識について勉強会で発表したりした。

こう思い返すと、このプロジェクトでも本当に沢山の事を学んだと思う。

その後、新規開発中のやはりUnityゲームのプロジェクトにアサインされる事に。

ガチャやオプション画面の組み込みを担当した。

私はここで通用するだけの技術は無かったようだ。あるいは相性の問題もあったのかもしれない。

散々、コードレビューで斧を投げられた挙句、この会社をドロップアウトすることになる。

理由は、スキル不足?

いや、結局の所、この会社では、自分の居場所を見つけられなかったんだと思う。

ゲーマーであることが必須の会社で、僕はその条件を満たしていなかった。それが最後まで尾を引いた。

僕はいわば肩たたきにあったため、在籍中に、おおっぴらに転職活動することが認められていた。

2月にふらっと足を運んだ転職フェアで、偶然立ち寄ったブースで、担当者さんと意気投合し、名刺を交換した。肩書きを見ると、取締役とある。まさか転職フェアに取締役が来ているなんて思いもしなかったので、驚いた。

僕はすぐに名刺のメールアドレスにお礼のメールを送った。

そして応募し、面接まで進むと、人事部長から、実は取締役の計らいで、合格は最初から決まっていたんですよ、と言われた。

なんと、一本釣りというやつだった。

有給消化してからジョインしたい旨を告げると、人事部長からは、俺は有給なんて取らずに即ここに来たと、少し小言を言われたが、実はすぐにジョインできない理由があった。それは、長男の小学校入学に合わせた、家を建てる計画があったこと。

住宅ローンを組む関係で、その審査が完了するまでは、元いた会社を離れる訳に行かなかったのである。