Webクリエイターになった日。
音楽が好きだった。
そして自分は音楽で身を立てるしかないと思っていた。
音楽に関する仕事なら何でもやった。
夜のライブハウスでの演奏。
新宿歌舞伎町、柏、横浜、横須賀、、関東一円、ライブハウスのあるところはどこにでも飛んでいった。
軽自動車で鍵盤を運び、演奏し、演奏料を頂く。
友人のつてでもらった、携帯電話向けのサウンド制作。これも力を出し切ってやった。au by KDDIの一時期のガラケーには、僕の作った音楽が必ずプリセットとして入っていたはずだ。
音楽サークルの先輩からもらった、著作権フリーBGM作成の仕事。毎月楽しみつつも、しっかりと作った。
芸人さんのバンドの手伝いとしてのキーボーディスト。テレビに出ているような非常に多くの有名人と共演できたのは貴重な経験だ。
携帯電話のストレージ容量が増え、メロディを鳴らす着メロから実際のCDのオーディオデータを鳴らす着うたに世の中が急速にシフトした頃、あっという間に、ぱったりと着メロ制作の仕事は減った。
着メロに収入の75%を依存していた僕は困った。それを補う仕事など思いもつかない。
音楽以外でもいい、むしろ、音楽以外の方がいい。もうMIDIで一人アレンジを作り続ける事にも、ライブハウスにヘルプ出演し続ける事にも、確定申告を一人でやるのも、あまりにしんどく、限界を感じていた。
僕は孤独で、音楽に対する情熱も失い、それをブレイクスルーする知恵も持ち合わせていなかった。しかしそれは、自分が作り出した環境。誰も責めるわけにはいかなかった。
音楽以外で、夢中になったもので、仕事になりやすそうなもの?ひとつだけあった。それがウェブ制作だ。
私は大学時代、自分の作品を発表するホームページ作りに熱中した。
デモテープを手渡ししなくても、ホームページを作れば、だれにでも聴いてもらえる。なんと素晴らしいことだろう。
僕は夢中でhtml,css,Photoshop,音声エンコーディング(RealPlayer,SoundVQ)の方法とそのプレイヤーの埋め込み方法について学んだ。それが1997年のこと。
その経験が忘れがたく、Webクリエイターとして生きていくことを決めた。
2008年10月。33歳、未経験。
そのスペックで、正社員ではなかなか採ってくれない。予想以上に厳しかった。
正社員が難しいならと派遣に登録したところ、いともあっけなく仕事にありつくことができた。
企業はそんなにも、正規雇用をしたくないのだろうか?と思ったものである。
いずれにせよ、キャリアチェンジして初めての現場は某通信会社のイントラネット保守運用の仕事であった。
この本片手に、慣れないcssと格闘した。
何しろ、cssはほとんど書いたことがなかったのに「できます」と見栄を切ってしまったのだ。
でも、Web制作の仕事に就くことができて、本当にうれしかったので、全力でスキル習得に取り組んだ。
htmlやcssを書くのは、楽しかった。
支給されたPCには、Photoshopがインストールされていたので、これを使うのも楽しかった。
また現場のリーダーに教えてもらったJavaScriptの本も、みっちりと一冊しっかりと問題を解くところまでやった。
この本は今も手元にある。
ボロボロだが、当時勉強した証として、なかなか捨てられない。
この時この本で習得したif文やfor文、while文は、その後様々な言語を習得する際の基礎となった。
入口がJavaScriptというのは若干特殊なのかもしれないが、私はブラウザとテキストエディタさえあればできる、一番手軽なコンピュータープログラミングの入り口として十分おすすめできるものと考えている。
私は当時のリーダーが使っていたから、この本で学んだが、この本でよかったと思う。
この現場は半年契約の満了で終了になった。
現場自体は続いていたのだが、契約打ち切りになったのは、やたらと面倒な日報の記入について、現場の監督者と揉めたためである。
今思うと、業務の簡素化への提案として、正しい伝え方が出来ていなかった。しかしそのころの僕は社会人としての折衝スキルなんて持ち合わせていなかったのだ。
あるいは新卒の年齢なら許されたのかもしれないが、私はもう33歳だったのだ。
この経験で、社会人として急ピッチで成長する必要があることを悟った。
真っ当な社会人生活の10年分をキャッチアップしなければならない。
しかし、そんなことは、できるのだろうか。
僕は焦っていた。
この後は、初めての正社員となった、ウェブ制作会社に、入社することになる。