33歳からの人生やり直し

月収80万→5万の音楽クリエイターから33歳でIT業界へ転生したとある男の回想録。

EC,POSのパッケージベンダーへ入社、現在に至る。

四月の一ヶ月、丸々休みだった。

主にスポーツジムに行き、体力をつけていた。

ゴールデンウィーク中の5月1日、新しい職場に初出勤。ここに、現在も勤めている。

ECやPOSを販売しているパッケージベンダーである。途中、IOTも手掛けたが、現在は小売のIT化に特化したビジネス展開をしている。

入社してからずっと保守チームにアサインされている。

2年半やってきて、保守業務の心得は以下の通りである。

商用環境の稼働を止めない事がまず大事。

その上で、システムを使って行く中でのお客様の要望を上手く実現可能な枠組みに落とし込み、見積もりに持っていく。これで新しい利益が生まれる。その営みが基本。

保守はシステムに関して広く浅い知識が求められるポジションである。一つの技術を深く掘り下げる事より、浅く広く網羅する方が好きな人には向くと思う。

例えば、ドットインストールなどで新技術を触りだけ確認するのは好き、というタイプの人は、向いている。

ここまで、早足で音楽クリエイターからITエンジニアに転身するまでを語ってきた。

このブログは回顧録だ。

その性質上、現職について多くを語る事は意図に反するだろう。

音楽クリエイターとして先が見えなくなったのが33歳。そこから必死でもがきながら、ITエンジニアとしてなんとか今もやっている。

でも苦しみより、新しい事をやっている自分にワクワクする気持ちの方が大きかったと思う。

だからこそ人生のやり直しができた。

今、仕事人として見える景色はサウンドクリエイターの頃とは全く違っている。

ITは、産業、経済、アート、エンタメといった人々の生活のあらゆる局面で活用されている。

IT技術者として学んだ知識を、生活のあらゆる局面で応用し、生活や創作活動をより豊かに、便利にしていく事。これこそがIT技術者の究極のミッションだ。

そのためにはどういう考え方を引っ張り出してきて、適用し、実現させれば良いか?

それを考える力がついた事、これが一番の収穫だ。

前職以前の主に派遣時代の経験で、プロとしてのウェブサイトの作り方を習得した。

そして前職でゲームの作り方がわかった。

息子が考案したゲームのお絵描きを実際に動くゲームにして見せてあげる事ができるようになったのは、僕ら親子にとって、大きな財産だ。

これをきっかけに息子は数学や物理にも興味を持ってくれるかもしれない。

物理や数学がどのように世の中で使われるのか?といった学校で教わる事の意味を幼いうちから理解しているのといないのとでは、大違いだと思う。

また現職でレジやECサイトの作り方もわかった。

基幹連携の仕組み、各種サービスとの連携の仕組みもわかった。それをきっかけに産業、経済全般への興味が湧いてきたのは、自分の中で大きな変化だと思っている。

これらのことは、IT業界に入らなくては決して見る事の出来ない景色だった。

 

ふと思う事がある。

作曲家としてあのまま活動を続けていたら、今どうなっているのだろう?

おそらく世の中という景色の見え方がかなり低い標高からのまま非常に悩み多き日々を過ごしているのではないかと想像する。

なので今もタフに音楽活動を続けている人達には敬意を表す。

ちなみに昔の音楽仕事でご一緒していた人達が現在どうなっているかというと、かなり生活が苦しそうだった人が、ブレイクしてテレビやラジオ、出版で活躍していたり、僕の紹介した後任のキーボード奏者がが僕より上手くやっていたり、皆それなりに充実した月日を重ね、ステップアップをしているようだ。僕もあるいは、あのまま続けていたら、突然のブレイクスルーや、コツコツとしたステップアップで、食えていたのかも知れない。しかし今その道は、自らの手で、閉ざしてしまった。

しかしその時僕が置かれた状況を考えると、ある程度安定した収入を得られる仕事をすぐに始める必要があった。

派遣でフルタイム勤務しても、土日で音楽活動を続けようとも思っていたし、実際しばらくの間、BGM制作の仕事などは引き受けていた。

しかしその仕事も、今は休眠状態だ。

ひとつは詳しい事はわからないが会社が倒産してしまったとかで、発注は途絶えてしまった。

もう一つのライブの仕事?(一応ギャラは頂いていた)も、エンジニアの方の仕事の都合で代打を頼んだら、そちらがレギュラーになってしまった。

まぁ仕方がない。その後任は音楽一本でこれからも行くという覚悟がある奴だったから。

俺がバンドマスターだったとしてもそちらを選ぶ。

また住宅、自動車のローンを組むため、その審査に通過するには正社員で長く勤続している必要があった。

そんな風にいろいろな事情が重なりお互いなんとか糊口をしのいでいた音楽クラスタの仲間には悪いことをしたと思う。

これらの日々は青春時代のいい思い出として大事にしたいが、食えないのはやはり、どうしたって、苦い思い出だ。

今僕は、住宅も自動車もローン締結済の今となった。

稼げるフリーになるのも一つの手だと思って、飛び込む機会を伺っていたりする。

派遣の時お世話になったパソナに相談だけでもしてみようか。

今ある仕事に感謝しつつ、そんな自分戦略を企てながら、今日もまた、満員電車で都内へ毎日通勤している。